写真: 与勝諸島の無人島「浮原島」
昨年、伊計島ダイビング(与勝諸島)・無限の楽園の開拓をしました。ホームページのメニューには加えていませんが、ファンダイビングでリクエスト可能なダイビングエリアです。未開拓なエリアで数えきれないほどのダイビングスポットがあります。
昔、ガイド仲間から伊計島方面(与勝諸島)にオランダらしき木造の船が沈んでいると聞いたことがありました。同業の方でもほとんど知る人がいなく、ネット上にも情報を見つけることができませんでした。伊計島方面(与勝諸島)を調査していたのは、もしかしたら沈没船が実在するのかも知れないと考えて情報を集めていました。
そして、伊計島方面(与勝諸島)の漁師さんに詳しい方がいました。正式には「南浮原島沖海底遺跡」と呼ばれ、オランダグムイと名付けられたダイビングスポットにあります。「グムイ」は沖縄の方言で「淀み」や「水たまり」などの意味になります。
写真: 砂に埋まっていた動物の骨らしきもの
「南浮原島沖海底遺跡」は、うるま市与勝諸島の無人島で南浮原島沖にあります。海底の約17mほどに1876年に座礁・沈没したとされる異国船があります。現在もどこの国の船なのかは判明されていません。
『平敷屋字誌』(1998年、平敷屋区自治会刊)によると琉球王国末期の1876年(明治9年)、うるま市の無人島である南浮原島の東端のシシ(南浮原島の地元での呼び名)に異国船(西欧船)が座礁したことが記載されています。船には白人とシナ(中国)人が乗っていました。シナ人の1人は、勝連間切(うるま市内)で死亡し、地元である平敷屋には「唐人墓」と呼ばれる墓があります。いまでも異国船の座礁・沈没に関する伝承が残っているそうです。
近年、地元ダイバーの協力を得て、沖縄県立埋蔵文化財センターや南西諸島水中文化遺産研究会によって考古学的な海底調査が実施されました。海底には船体をつなぎ留めるための銅の棒が刺さったままの木造船体の一部や真鍮製の船の部品、乗組員の持ち物・船の積み荷としてヨーロッパ陶器、ワイン瓶などのガラス製品、中国清朝磁器などが発見されました。
八重山日報 OKINAWA考古学
また、磁器で作られた鳥の置物、日本の銭や西洋式銃の弾丸も密集して発見されました。沖縄県では、これまでに数か所で異国船と考えられる沈没船が発見されていますが、銃の弾丸のような武器類が発見されるのは珍しく、木造の船体そのものが保存されているとわかった沈没船遺跡もこの遺跡だけになります。
参考 沖縄県立埋蔵文化財センター
左の写真は西洋式銃の弾丸と船を安定させるために船底に敷き詰められていたバラスト石です。バラスト石はもともと川から採掘されるもので自然に海底に落ちていることはありません。右の写真は木炭のようなものです。上の動物の骨らしきものも含めて、2023年1月に発見して撮影しました。現在もさまざまな遺跡が砂に埋まっている可能性があります。
伊計島方面(与勝諸島)のオランダグムイは通常のファンダイビングでは保護のためご案内しておりません。調査目的などで、船をチャーターすることが可能な場合はご案内可能です。興味のある方はご相談下さい。