こんにちは、最近イントラ試験を合格したアオイです。
今回は、自分が潜って写真に収めたいと思ってる軍艦を紹介したいと思います。
近年、マイクロソフト創設者、ポールアレン氏率いる深海調査隊が、旧日本軍の沈没した艦を発見しています。
例えば戦艦の武蔵、比叡、正規空母の加賀、赤城、重巡洋艦の摩耶、最上、古鷹
軽巡洋艦の神通、駆逐艦の島風等が発見されYouTube等で実際の船体を確認する事ができます。
沈没した艦の大半が深海の人間が潜る事の出来る範囲を超えています。
現在、飽和潜水での最大深度は701m、海上自衛隊では450mまで潜水する事ができますが、その状態で深海の沈没船を捜索するのは難ありと言った所です。
しかし、世界ではしっかりとした知識とトレーニングを積んだダイバーであれば潜る事のできる軍艦が多数存在します。
米駆逐艦エモンズもそうですが、海外には更に大きい艦も存在しダイビングしながら船体を見る事ができます。
その中で自分が行きたい艦を少し紹介したいと思います。
マーシャル諸島 ビキニ環礁
・艦種 戦艦
・建造所 呉海軍工廠
・起工 1917年 8月28日
・進水 1919年11月 9日
・竣工 1920年11月25日
・除籍 1945年 9月15日
・最期 1946年 7月29日
・基準排水量 39,120t
・全長 224.94m
・全福 34.59m
・速力 25.0ノット
・推進 艦本式タービン4基4軸
・馬力 82,000馬力
・乗員 1,368名
長門型戦艦1番艦であり、連合艦隊の旗艦(艦隊の司令長官やそれに準ずる者が乗艦する艦の事)を務めた事のある艦。
長門は[世界のビッグセブン](1922年から1936年までに建造された7隻の戦艦の事)の中の1隻であり、絶大な攻撃力を持っていました。
終戦まで生き残り、アメリカ軍に接収された後ビキニ環礁で行われた水爆実験(通称クロスロード作戦)にて2発の原子爆弾を耐え抜いた後沈没しました。
1946年 7月 1日 エイブル実験
長門から1.5km離れたところに着弾し、長門は表面が熱による融解のみ。航行には
問題なかったそうです。
1946年 7月25日 ベーカー実験
爆心地から900m~1,000mの場所に着弾し、機雷の装着された長門は浸水の拡大により4日後に沈没しました。
現在は水深約50mの水底にその巨体を露わにし眠っています。
今日まで、世界のビッグセブンを見る事ができるのは戦艦長門以外にはありません。戦争の歴史を知る事のできる艦の為、是非見に行きたいものです。
・艦種 軽巡洋艦
・建造所 佐世保海軍工廠
・起工 1942年11月21日
・推進 1944年 4月 9日
・竣工 1944年11月30日
・除籍 1945年10月 5日
・最期 1946年 7月 2日
・基準排水量 6,652t
・全長 174.50m
・全福 15.20m
・速力 35ノット
・推進 艦本式高中低圧タービン4基4軸
・乗員 700名+26名(司令部)
阿賀野型4番艦である酒匂は大きな作戦には参加せず、新造艦の早期戦線投入と兵員の練成を急がねばならず、それらの訓練艦として運用されました。
その後アメリカ軍は日本側の主要な港湾を機雷で封鎖する通称[飢餓作戦]を行い、その際酒匂は燃料不足の為陸上から電気を引いている状態でした。
2ヵ月後には酒匂の所属していた第十一水雷戦隊は解隊され特殊警備艦に指定されましたが、空襲の標的の港内を避け海岸に係留され擬装を施されたままの状態で終戦を迎えました。
1946年 7月 1日 エイブル実験
投下された原子爆弾は風に流され、予定地から大幅にずれてしまい酒匂の直上付近で爆発しました。
その影響で艦尾は24時間近く炎上、艦尾に亀裂が生じ翌日の 7月 2日に浅瀬への曳航作業中に艦尾から沈没していきました。
終戦後も様々な用途に使用されていましたが、長門と同じくアメリカ軍に接収されビキニ環礁の約60mの海底に眠る事となりました。
ビキニ環礁に沈んでいる日本の艦はこの2隻のみで、日本人である私からしてみれば一度は潜り写真に収め、自分の見た物を様々な人に見てもらいたいと思っております。
今回はこれで以上になりますが、他にも見てみたい船や航空機を紹介したいと思っているので次回をお待ちください。
以上!アオイからでした!!